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「民藝」て、なんか、惹かれる。生活に馴染みつつ、ふと「いい形だなぁ」とか「いい色だなぁ」なんて見惚れてしまうような使う芸術、とわたくしは捉えています。

 今回の展示で初めて知った「灰ならし」という道具はとても可愛らしい形。蓑のデザインは、素材を変えればワンピースにしても素敵ではないかと思いました。紬の日傘もいいなぁ、と思ったのだけれどここ数年のお天気は、ただの日傘はもう持てない。晴雨兼用でないとどんなに晴れていてもいつ雨が降るか分からないから。んー、気候め!と思わぬ点でも腹立たしいです。

 衣に施された刺し子は、丈夫に・暖かくという実用性も高めるというけれど、何故にここまで?と感じるくらい凝って美しい。特に、菱刺の衣は何パターンもの菱形模様が刺されていて、うおおおう、と凝視してしまいました。どんな気持ちで刺していたのだろう。刺しながら「あ、こんなのも思いついちゃった!」て感じかな。あるいは、この作者が考えたパターンではなく、受け継がれてきた紋様なのか。

 日本だけでなく、韓国や台湾、ペルーの民藝もありました。やはり、ペルーの諸々は面白いです。特に、スケッチもした太陽の飾りピンは、小さい人形が付いていたのだけれど、別にそれ、無くても全然良いのです。でもそこに「いいなぁ」とわくわくしてしまうし、これがなければただのピンだな、と思ってしまうのです。いや、お顔太陽が彫られているだけで十分、ただのピンではないのですが。
 先ほどの菱刺の衣にも感じたのですが、そこまで凝らなくても良いのでは?余分では?と思える部分に作者の喜びがある気がしてなりません。そしてそこに魅力が宿る。あ、でも、実用だけを追ったものにも美はありますね。ホームセンターで様々な大きさのネジやらボルトや工具、縄やホース等を見ているだけで心弾むのは、確実に美を感じているところがあります。

 今を生きている5人の民藝に携わる人々の映像もありました。作り手の人々。それぞれに、あぁそうだよね、と頷く(スケッチ中「うなづく」と書いてしまっていまうが、誤字。「うなずく」でした)部分がありました。ちょっと涙ぐんでしまう言葉もありました。受け継ぐこと、繋げていくこと、変化していくこと。

 展示の最初と最後に、部屋の展示があります。使われている様子が分かるように。ただ、部屋の中には入れなくて、手前から眺めるスタイル。遠い、です。
⁡ 『民藝』展。⁡  触れたいと思わせるもの多数、欲しいと思わせるもの多数。それを見透かす充実のミュージアムショップ。しかし、先週の鹿児島睦展に続き、暮らしの中の美にたんまり触れてしまったせいでミュージアムショップだけでは満たされません。その足で前から行ってみたかったdieci kyutaro店 に行きました。特に1階の、奥の小部屋はもう「ごえーーーっ」と心の中で雄叫ぶ素敵空間でした。





市立伊丹ミュージアムで行われていた⁡『鹿児島睦 まいにち』展へ行ってきました⁡。
 最初に入ったお部屋に鹿児島さんの言葉
「花を絵付けするときは必ず茎から描く。花の重心を捉えるように」とあったので⁡、いつもの展覧会スケッチもお花を描くときは茎から描こう、⁡と思ったものの気を付けていないとお花から描いてしまいます⁡。茎から描けたら描けたでお花が⁡、上にある絵とぶつかってバランス悪かったり、フフ⁡。

⁡  そんな、お花が咲いていたり動物が生息していたりするお皿達。
わたくしは野菜のローストが好きで⁡す。黒地のお皿に人参スティックロースト盛りたいなぁ⁡。とか、ピンクが基調のお皿には、ピーマン真っ黒に焼いて皮剥いで、再び鮮やかで瑞々しく強い黄緑を現したのを乗せたいなぁ、なんて考えながら観ました。食べ物が減っていくと現れるお花や動物。にっこりしちゃうよ絶対に。飾って良し、使って良し。

 「誰かと違うものを作りたいというふうには考えないんです」という言葉もありました。わたくしは、誰かと違うものを作りたい。けれど、初めてこの世に生まれる造形などない、と同時に考えています。既に絶対、ある。何ならほぼ同時に、ほぼ同じものがこの地球上で誰かが作っていることでしょう。不思議。ふかぁいふかぁいところで、繋がっているようです。

⁡  和菓子屋さん『鈴懸』のパッケージもデザインされていて⁡それがまた素敵⁡です。
神社の絵馬も可愛いです。これ、持って帰りたくなるなと思いました⁡。また来年、博多に下界したら、鹿児島さんお勧めの、鈴懸本店カフェのナポリタン食べましょう。てな感じですっかりファンになりました。

 最後のお部屋では鹿児島さんの制作風景動画が流れていました。ここで思い出すのはもちろん、わたくしの制作動画のライブYouTube 。働き蟻Mさんが来なくてひとりで制作していると、何かとサボってしまうので、サボり防止でライブ配信をし始めました。一応、ライブ配信は残してあるのですが、ずっと無言でただただミシン作業をわたくし目線で映している、だけの動画です。鹿児島さんの動画も、わたくしのと同様無言。でも。そりゃそうなのですがぜんっぜん、違う。製作中のお皿を上から映しているカメラ。お皿を削ったり色を付けたりする鹿児島さんの横からの姿を映しているカメラ。アトリエの様子も観られて、楽しい。お皿を掻く音が気持ち良い。

 うちも、カメラもう一台据えて、制作する姿全体を映すようにもしようかな、と思ったのですが、そもそもサボり防止用なのだから、素敵ライブ配信にしなくて良いのよ。でね、ライブ配信。ほぼ、わたくししか観てないの。それでも、中継していると思うだけでサボらないで真面目に作業できちゃうのです。御し易い、わたくし。

話は展覧会に戻ります。一度最後まで観た後、再び戻って記した言葉があります。

「得たお金をものづくりに還元し、もっといいものをつくること。つくり手がやるべきことは、これに尽きます。」わたくしが得るお金は多くはないけれど全て、わたくしが作る者(誤字ではありません)を気に入って、一緒に暮らしたいと求めてくれた人が与えてくれたお金です。奇跡。わたくしが作るありんこ天国の住人達は、向こうからやって来てくれます。彼らを地球の皆様にご紹介するのがわたくしの仕事です。もっと沢山の人間に紹介して気に入って欲しいです。まだまだ作りきれていない住人達をちゃんと作って出現させたいです。それが、わたくしの脳内妄想天国にやって来てくれる彼らに対する責任というか、感謝の印というか、使命です。同時に、彼らを気に入ってくれる人々への感謝の印でもあると思っています。・・・なのに、サボってごめん。ありんこと言っても、勤勉でない2割程度のありんこなのです。
伊丹での展示は終わってしまいましたが巡回があります。行ってウキウキ・うふうふするべきです。




デザインとアートの境目を探る展覧会。両者の違いてなんだろう?ありんこ天国は『生活するアート』と銘打っています。わたくしは美大生だった頃、ギャラリーに通うのが好きでした。卒業してからは、自らもギャラリーにて展示もしてきました。
 そんな中、ギャラリーや美術館は、まだ一般的とは言い難い場所だな、と感じるようになりました。文具屋さんに入るように、お洋服屋さんに入るように、日常としてふらりと入る場所ではありません。わたくしは、自分が作ったモノをもっと、日常で人々に見て欲しいと思いはじめました。そうして、手づくり市に出すようになり、今に至ります。

 使えるアート、共に生活するアートを作りたいという思い。あれ?それってデザイン?
アートというと、取っ付きにくいイメージがありませんか?対してデザインは生活に入り込み、もうそれとは気付きません。我々が手にし、目にする人工物全てがデザインされたモノです。恐ろしい程に誰かがデザインしたモノに囲まれて生きているのです。囲まれた中、どうにも心惹かれるデザインが存在します。それが、デザインから見たアートとの境目なのかも。境目というか、あわい。揺らぎ。そんな感じ。
 人によって境目は違います。同じ人であっても、日により年月により変わることもあるでしょう。そんな文言が、この展覧会のチラシにも書いてありました。
 水道水を輝かせてしまうグラス。目に入る度思わず気持ちを昂らせてくれるネイル。そういったモノは、デザインでありアートだと思います。

 日常に溶け込むという意味では、わたくしもデザインをしたいのかもしれません。が、引っかかりが欲しいのです。馴染み過ぎない、ちょっとした違和感と興奮。取っ付きにくいとか、小難しいと身構えさせない周辺。あら?わたくしがやりたいコトて、デザインとアートの境目なのかも。なんだか大きく打って出たな感。でもやっぱり、非現実と生活のはざまをゆらゆらしたいのだろうな。

展示を観た後のお楽しみはミュージアムグッズ。

展覧会に関係のない絵葉書3枚と、作品の展示があった猪熊弦一郎の言葉が印字された4色色鉛筆。曰く「アートはバイタミン」。猪熊さんの展示されていた作品は「ボイス」。とても大きな作品だったのですが、家に飾りたーい、と思っちゃいました。なんなら、これをプリントした壁紙を、寝室の1面に使いたい、と。これって、アートとデザインのあわい。
 購入したものを入れてくれた袋の口を閉じるのには、同時開催されていた佐伯祐三のポストマンマステが貼られていました。

 ミュージアムショップて、デザインとアートがいい具合に混ざり合っている場所だな。ありんこ天国も、ミュージアムショップに生息したいです。




 モノを作る人であれば多分誰もがブチ当たる⁡「このちょっと残ったやつどうしよっかな⁡取り敢えず、取っておくか」と取っておいてどんどん溜まっていく問題⁡。
または⁡、B品として販売できるタイプのキズモノは良いとして⁡販売がままならないタイプのキズモノの行方問題⁡。

⁡  エルメスというハイブランドとて⁡同じ現象が起こるようです⁡。良い素材なだけに捨てるのも⁡惜しいでしょう⁡。
⁡そういったモノ達が新たなカタチを作り⁡魅力的に表舞台に登場する⁡、そんなモノ達が集められたプティアッシュ展⁡。

⁡  大阪中之島美術館の2階で行われている展示は⁡、こじんまりしながらも見応えは充分です⁡。ここは無料で入れるゾーンなので行くべき⁡。画像中央にあるオレンジのスタンプは⁡そこで押せます⁡。ノート、忘れないで⁡。

⁡  鯉のぼりや⁡、新しい鳥獣戯画といった趣向のイラストやねぷたチックなオブジェも⁡大変にウキウキします⁡。

⁡  芝生広場ではテントのカフェが出ていて⁡、サブレ付きの飲み物がALL600円で販売されています。わたくしはキウイソーダを頂きました⁡。
 キウイでしたよ!⁡
そりゃそうなんですけれどね⁡。そう言えば⁡papicoのキウイ味がとても美味しいと聞きました⁡。食べましょう⁡、話を戻しましょう⁡。

⁡  運良く取れた⁡完全入れ換え予約制の販売ゾーンにある品々がまたどれも可愛かったです⁡。ねぷたチックオブジェも⁡展示ゾーンにあったものより巨大も巨大だったり⁡、凝ったポーズになっていました⁡。

⁡  細いチューブを何本も重ねたヘアバンドは⁡、ウチの生地でも作りたいなと思います⁡。が、⁡あの細いのをひっくり返す面倒臭さを考えずにはおれないという⁡、ありんこなのにいつもの⁡ナマケモノ思考がスライディングしてきます⁡。尋常でない砂埃を舞い散らかしながら⁡。

⁡  アップサイクルのものであっても当然⁡妥協がなくて美しいモノ達に囲まれて⁡、眼福でした⁡。

⁡  エルメスの工房関連の展示会には今回で3回⁡お邪魔したのだけれど、どれも会場にいるスタッフの皆さまがとても感じ良くて安心します⁡。初めて⁡、京都のお寺であった展示会には行ったときはマジ緊張⁡。「なんやコイツ」と思われないだろうかと、内心ビクビク&オドオドでした。
⁡ けれど穏やかにお客様を見守り⁡、適切なときに適切なボリュームで説明してくださる姿に⁡、わたくしもこのような接客がしたいものだわ~⁡、と感じるのでありました⁡。




 「ヒグチユウコは、そ〜んなに好きって訳じゃないけど行っておくか」という程度のノリで参った『ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END』@森アーツセンターギャラリー
が、本当にごめんなさい。ヒグチユウコ大好きです!となった展覧会でした。
観ながら、あ〜、わたし猫と暮らさなきゃな、と思いました。諸般の事情で飼うのはなかなか難しいのですがね。
特にギュスターブくんがモスにバイト面接に行く漫画が好きです。こけし群も魅力的でした。
”そんなに好きじゃない”と思っていたのは、ただ可愛いだけだと思っていたからなのですが、毒気と異常な描き込み具合に、目がカッと見開く思いでした。

ショップにて、事前に調べていたマグカップが欲しかったのだけれど、もうありませんでした。残念。
 そうそう、入場後にランダムな柄でチケットを貰えたのですがそれがこちら  ギュスターヴくんのお手々が蛇、てのがありんこ天国の「パクパクマフラー」と一緒だね!と思いました。今、パクパクボレロを試作中で、そちらはより、ギュスターヴくん味がある気がします。片方は、お尻っぽですけれど。

余談ですが、行く前に立ち寄った、近くのけやき坂テラスにある『bricolage bread and co.』のクロワッサンが非常に美味しかったです。
そして、そこで使われていたマグカップの飲み口がとても良かったです。厚口のカップで唇への当たりが柔らかく、ここで売っているなら買いたい、と思ったほどでした。




 トーキョー下界に伴い2日延泊しました。
数年振りに会う友人と、中野にあるウズベキスタン料理屋さんでランチしたかったのと⁡話題過ぎるほど話題のDior展とヒグチユウコ展を観たかったのと⁡そして、どうしても行きたいお店が水木金しかやっていなかったから。

⁡  Dior展について⁡
日時指定券がないと入れない展覧会だったのですが⁡そんなもんはとうの昔に売り切れていました⁡。しかし、当日券が出る⁡。当日券は入手できないこともあるが、とにかく出る⁡。10時開場のところ9時から並んでいるヒトもいるらしい⁡、という情報を得たわたくし⁡。8時半過ぎに現場に着きました⁡。

⁡  1番だったらなんかちょっと恥ずかしいなー、という気持ちで行ったのですが全くもって1番ではありませんでした⁡。既に数10人、100人?程?並んでいました⁡。平日なのに。⁡ ⁡ みるみるみる間に間に間に⁡、列は延びていきます。美術館のお兄さんが列を整理していらっしゃいます⁡。整理するということは⁡当日券は、これくらい並んでいても手に入るというコト⁡。わたくしは楽勝だな、とホッとする⁡。しかし暑い⁡。
 今後、当日券狙いで並ぶヒトは⁡日傘を持っていくコトをお勧めします⁡。かくして10時半から11時入場枠を手に入れました⁡。直ぐに入れる枠を取れて本当に良かったです⁡。

⁡  間もなくして入場⁡。
最初の部屋からやられっぱなしでした⁡。展示方法が凄い、と聞いていたので一切⁡画像情報を入れずに挑んだのですがマスクの中で⁡、
「はあぁぁ」⁡
「ほあぁぁぁ」と、声が漏れる⁡。撮影OKだったので撮りたいし⁡、でも撮ってばかりだと勿体なく⁡眼球にも焼き付けたいし⁡。

⁡ 黒い部屋⁡
曲線の障子のような部屋⁡
歴代デザイナー別に仕切られた部屋⁡
白い部屋⁡
バッグの部屋⁡
圧巻は吹き抜けの部屋⁡

⁡  もう、魔⁡。魔物の空間でした⁡。
 会場を出たら3時間、経っていました⁡。クタクタ⁡。ですがゲッソリのクタクタではなく満たされたクタクタです。

⁡  Diorのデザイナーとパタンナーやお針子さん他携わる多くの人々、会場を作り上げたデザイナーと職人や美術館の人々や運搬に関わる人々⁡。みんな合わさり怪物⁡。そう感じた展示でした。




 乳腺から2週間後⁡。今度は循環器の診察です⁡。覚えていますか?⁡手術前日検査の心エコーで見つかった⁡、穴。⁡ 心臓の壁に、穴⁡。緊急性がないので退院後に外来予約取るように言われた⁡、穴。⁡

⁡  ちょっとお話逸れますが⁡入院中に読もうと思っていた本に⁡『更年期障害だと思っていたら重病だった話』村井理子著 がありました⁡。結局入院中には読めず⁡、退院してから読んだのですが⁡これがたまたま、心臓の病気のお話で⁡した。
⁡ 村井さんは全くもって重病だったのですが読みながら⁡わたくしも、緊急性がないとは言え⁡、カテーテル検査とかするのかしら?⁡脊髄麻酔のあの圧迫感を思い出しながら⁡、あれを首から入れる感じなのかしら?カテーテル⁡て。と想像を膨らませていました⁡。

⁡  そして、診察当日⁡。OKモト先生が説明してくださいました⁡
⁡ 極々⁡、小さい穴が左心室と右心室の壁に空いているそうで⁡、ちみっと、左心室から右心室に血液が流れてしまうそうです⁡。
「なのでちょっと効率が悪いです。」⁡

⁡  効率が、悪い⁡。
わたくして色々、効率が悪いなぁとかねてから感じていたのですが⁡、心臓の血液循環からして効率が悪かったのです⁡。そりゃ、仕方ないわね⁡。病名としては『心室中隔欠損症』というそうです⁡。
⁡「今まで何か、心臓のことで言われたことありましたか?」⁡
「ないです」実はあるのですがさほど重要ではないだろうと判断して申告せず⁡。後程、記します⁡。
「まあ特に、経過観察とかも必要ありませんので」⁡
「そうですか」⁡
「息切れとか浮腫とか酷くなったら念のため、また来てください」⁡
「息切れも浮腫もデフォルトですけど、分かりました」⁡
終わり⁡。

⁡  えーっ⁡。それだけなら入院中に言ってくれたら良かったのに⁡。わざわざ来たんだからもっと何かないの?⁡カテーテルどころか⁡エコー検査すらなかったよ⁡。いや何事もなくて良かったのだけれど⁡。

⁡  で、まぁいいかな、と思ってOK本先生には言わなかった事柄です⁡。
 中学生のころ心電図で引っ掛かり⁡、大きな病院で再検査になったことがありました⁡。踏み台昇降をしてデータ取る、という⁡。
⁡ そのとき言われたのは⁡、
「運動後に◯◯(忘れた。心拍数的、な?)が上がりにくいので、マラソンとかしたらいいかもですね」⁡そしてその後、運動の道、、、には進みませんでした⁡。
⁡ 手術前検査のときにも⁡心電図で引っ掛かったのですが⁡、それはOKモト先生もご存知だろうと言いませんでした⁡。因みに、みんな大好きTナカ先生も⁡心電図で引っ掛かるそうです⁡。
「なんなんでしょうねー?」て仰っていましたが先生も⁡穴⁡、空いてるのかもね⁡。

⁡  気抜けしておうちに帰ったその夕方⁡。スマホを見ると着信履歴がありました⁡。番号を調べるとどうも⁡病院ぽい⁡。 リダイヤルしてみるとやはり病院。なんだなんだ?と思ったらかけてきたのはOK本先生⁡。
「さっき、言い忘れたことがあって」⁡
「あら、何でしょう?」⁡
「普段は全く気にしなくていいんですけれど、虫歯とか抜歯で、菌が心臓のほうに行っちゃうとヤバイんで」⁡
「そうなんですか?」⁡
「なので、虫歯とか抜歯のときは気を付けてください」⁡
「分かりました」⁡
まあまあ重要なコトを言い忘れていたOK本先生でした⁡。

⁡  わたくし3ヶ月に1度⁡、歯医者でメンテナンスして貰っているのですが次回⁡、歯科衛生士さんにお伝えしておきましょう⁡。
「わたくしを抜歯するときは⁡、心臓に菌が入らないように注意してください。」⁡
⁡ そもそも⁡、歯磨きを抜かりなく行って⁡虫歯にならないように⁡、そして抜歯する事態に追い込まれないように⁡ しようね、わたくし⁡。そして、毎日しちゃう間食を、やめなはれや。


<おまけ>
 OKモト先生からお電話を頂いた時、とても電波が悪い状態でした。途中、OKモト先生が
「あ、切れた。」と仰ったのですが繋がっていたので急いで、
「切れてない!」とやや叫んでしまったのですが、”小力かよ”と思ったのでありました。
 最後、
「分かりました」と言った途端、今度は本当に切れてしまいあたかも、わたしがそそくさと切ったみたいな感じ悪い雰囲気を醸し出したのですが、多分先生も分かってくださったであろう。
切れちゃったんだな、と。




  「退院後その2」は乳腺のお話です⁡。
ドラムロールを鳴らす間もなく発表された病理検査結果告知を受けた翌日は⁡乳腺科へ⁡。もう何年も前にしこりは自分で発見していて⁡、診察も受けていました⁡。別の病院で。

⁡  その時のお話もしておきます⁡。
まずマンモしてーーー⁡マンモ⁡。痛いとよく聞くマンモ⁡。恐れていたのですが全く痛くなく⁡。これ多分、胸が余りにも小さすぎて無痛だったのだと思います⁡。大きいと潰さなきゃならないから⁡。で、無痛だったわ、楽勝!⁡となっていたらその後⁡、組織を取るとか言って銀色の⁡、馬に使うみたいなでっかくて太い注射器を胸に刺されたのです⁡。馬に使う注射器見たことないけど⁡。

⁡  刺されただけでも痛かったのですが⁡、刺したまま先生は⁡、
「あれ?ちょっとズレたな」等と言いながら⁡グリグリ針を動かすではありませんか⁡。泣いた⁡。ベッドに横になるわたくしの目から流れた涙は⁡、耳の穴に入りましたとも⁡。
⁡ 終わってから⁡、
「何か質問はありますか?」と先生は仰いました⁡。
「痛すぎて何も思い付きません」と答えたところ⁡、先生と看護師さんに笑われる、という⁡。⁡その後出た結果は良性で、ただ今後も検診をちゃんと受けるようにと言われたのでありました⁡。

⁡  が、受けていませんでした⁡検診。その、しこりが子宮筋腫のCTを撮った際⁡、気になる点として上がってきたのです⁡。それが半年くらい前だったのかな?⁡触診とエコーのみ受けて⁡半年後の経過観察が⁡、Tナカ先生の診察の翌日だったのです⁡

⁡  退院後の診察の予約を取る際、乳腺の予定が自分の診察の翌日である火曜日に入っているのを見て⁡、
「連日になっちゃいますが」とTナカ先生が仰ったので⁡、
「同じ日にしてください」と言ってみたら⁡、
「僕、月曜日なので無理です」⁡
「そうですよね」と言う訳で連日の病院通いです⁡。

⁡  乳腺ではまた、触診とエコー⁡。エコーがね、苦手なのです⁡。ゼリー塗られて何か固い器具でグリグリされるやつ⁡。 もうくすぐったくて⁡。
 この日も耐えに耐えました⁡。でも我慢しきれず笑っちゃいました⁡。
「ごめんなさい、くすぐったくて」⁡
すると、Tミタ先生から意外な一言が返ってきました⁡。
「若いですね」⁡因みにTミタ先生は⁡20代にしか見えない、ツヤツヤの可愛い女性です⁡。本物の、若さです⁡。⁡ツヤツヤTミタ先生曰く⁡、
「10代の患者さんなんか、笑っちゃって診察にならないことがあるんですよ」⁡そうなのか⁡。わたくしの皮膚感覚は、フレッシュ⁡。ということにしておきましょう⁡。
 そう言えば昔、漢方医にかかっていたのですが。そのとき、くすぐったがりも度が過ぎると異常なんだと、言われました。漢方医の診察は、お腹を必ず揉まれるのですがもちろん、笑っちゃうし、堪えるからぐっとお腹に力が入っちゃうしで、先生は
「何も、分からん。」と、仰っていました。
⁡ お話戻って、しこりは、半年前と比べて形状に変化ナシと言っていいとのこと⁡。1年後にマンモしましょう、ということになりました⁡。

⁡  体内に、しこりができやすい体質なのね⁡。しかし⁡、子宮にしろ胸にしろ⁡、女性の象徴とされる部品⁡。そこを武器にすることもなく過ごしてきたのに⁡(過ごしてきたからこそ、とも言えるのだけれど)⁡、難を受けてしまうのが、解せないわぁ⁡。

 あと、ここへ来てまたTが付く先生が登場。わたくしを巡る4Tドクターズ。




 退院して2週間弱経った頃、診察がありました。内臓を取っちゃった後は終わった感が強くて忘れていたのですが、病理検査の結果をこの日、聞くことになっています。要するに、ガンか否か。聞く前に心の中で、ドラムロールを鳴らそうと決めていました。

 番号が呼ばれ、診察室の引戸を開けた瞬間、
「ガンじゃありませんでしたーっ!」T、Tナカ先生…。
早いよ。ドラムロール鳴らす、一瞬のスキも無かったよ。いや、一刻も早く知らせてあげようという、Tナカ先生の優しさです。
「お、う、良かったです」

 そしてわたくしお待ちかねの画像を見せてくださいました。ポーカーフェイス・イTオ先生を思い出しつつ、見る (イTオ先生については1つ前の投稿をご覧ください)。しかし、正常な生子宮の様子を知らないわたくしには正直、その異様さをイTオ先生と同じレベルで理解出来ません。残念すぎる。先生達と同じ解像度で見たい。

 筋腫は子宮の外に出来ていたのですが、子宮より大きく成長していました。正面からの画像と後ろからの画像を見せて貰い、
「写真撮っていいですよー」
「はーい」と、2枚、撮りました。しかし、おうちに帰って改めて見るとモアレってた。次回2月の検診のとき改めて 撮り直しさせて貰いましょう。

子宮と筋腫
自分だったものだけれど
宇宙の生き物のようです
『遊星からの物体X』
映画のタイトルが浮かびますがこの映画、未見です

 この頃はまだ、痛み止めが欠かせなくて処方してくれるように頼みました。
「分かりました。じゃ、特別にどーんと30日分プレゼントします!」
「ありがとうございます」と、答えたものの、お、や?支払うのはわたくしです。そう、Tナカ先生に述べてみたら
「そうですね!プレゼントじゃないです」ズコーッて、なる。

 まだほんの少し出血があったものの⁡内診も異常なく⁡
「傷口もキレイです」と言って貰えました。これでキレイなんだな、と思うスーッと入った切り込みラインの周りはみよみよと波打っています。溶ける糸なので抜糸はしません。
 術後に貼って貰ったテープが取れてからはシリコンテープを貼っています。朝晩2回、自分でブレンドしたオイルを塗って、
「傷痕さん、残るな~」と唱えています。
「傷痕は残ります」と、イTオ先生に無表情で宣言されましたけどね。




 退院の日です⁡。基本は10時半退院なのですが⁡、家族の迎えの都合で14時にして貰いました⁡。
⁡1人でもおうちまで帰れる⁡と思っていたのですが⁡、スーツケースを引くのが無理かも、と⁡迎えを頼むことに。腹筋というのは⁡、ちょっとしたことにも使われてることを、知りました⁡。

⁡  昼過ぎ退院ということで⁡、
「お昼ごはん、どうされますか~」と、看護師さんに聞かれました⁡。
「うーん、食べて帰ります」⁡
「ご飯、美味しいですか?」と問われて改めて、考えます⁡。
⁡不味くはありません⁡。が、美味しくもない⁡。のだけどそれは⁡、食器が味気なかったり⁡、お隣のベッドとの仕切りカーテンを眺めながらのお食事だから、というのが大きな原因のような気がします。違った環境で食べれば美味しかったのではないでしょうか⁡。

⁡  退院後の生活についての説明もありました⁡。看護師さんがプリントを見ながら読み上げてくれます⁡。
「お腹に布団を掛けないようにして」と⁡。え?ずっと掛けてたけど?⁡掛けなかったらポンポン冷えちゃう⁡、となっていたら⁡、
「あ、間違えました⁡。お腹に負担をかけないようにして、お布団の上げ下ろし等はしないでください。」⁡わ、わ、笑うと腹筋使うから~⁡。
「やだ、もうお腹痛いですぅ。」鉄板か?!これ、同じ状況の患者に毎回言ってるんでしょ?⁡

⁡   笑うのも辛かったけれど、それより辛かったのは⁡、くしゃみ⁡。もうくしゃみは痛みが破壊的⁡。
⁡ くしゃみを止めるには太陽を見ると良い、て誰か言ってたのを思い出し⁡、太陽が見えるときは太陽を⁡。見えないときは蛍光灯の光を⁡見ていました⁡。すると、見事に止まる⁡。
⁡ そう。止まっていたのですが⁡。今改めて調べるてみたら⁡、太陽を見るとくしゃみが出る、そうなのです⁡。その名も「光くしゃみ反射」⁡
 なぜ、わたくしのくしゃみは光を見ることによって止まっていたのでょう?⁡プラシーボ的な?⁡
⁡ 話戻ってプリントには⁡”性生活について”という項目もあり⁡、なかなかに生々しい記述⁡でちょっと引く⁡。

⁡  Tナカ先生とイTオ先生もベッドの横に揃い踏み。⁡
「そう言えば、取ったものの写真を見せてくれると仰っていましたが、次の診察のときに見せて頂けますか?」手術前の診察のときに、取ったものを見たいと言ったら、実物は直ぐに病理に回すから見られないけれど写真なら良いですよ、と聞いていたのです⁡。
「そうですね、次の診察のときに!」とTナカ先生⁡。そしてそれを聞いた、常にポーカーフェイスのイTオ先生が、
「あれは衝撃かも」とニヤリとし、嬉しそうな声音で仰います⁡。(あ、感情がある)思わず心の中で言いました。このときが、彼の感情が見えた、最初で最後でした。

⁡  その後、イTオ先生のみが残って⁡質問に答えてくださいました⁡。
 ⁡傷口にはまだ⁡、手術のときのテープが貼られたままです。 幾らか剥がれて来たら全部自分で剥がして⁡好みのテープに貼り換えます。、と、いうことは⁡、傷の全容と1人で、向き合わなければならないということです⁡。
⁡「傷を見て、悲しい気持ちになったらどうしたら良いですか?」イTオ先生に聞いてみます⁡。いつものポーカーフェイスで間髪いれず⁡、
「誰か解り合える人と一緒に過ごしてください」⁡
「はい」⁡
 幸い⁡、その後1人で傷を見たとき悲しい気持ちにはなりませんでしたが⁡、”誰か解り合える人と一緒に過ごしてください“⁡。なかなかロマンチックなフレーズだと思うのですが⁡、無表情&無感情過ぎて何だか⁡面白かったのよ⁡。

⁡  そして無事⁡、家に戻ったのでありました⁡。駅から自宅まで⁡歩いて5分程のなのですがあの日は⁡倍はかかりました⁡。手術から2ヶ月弱たった今⁡、ほぼ毎朝のスロジョグもトテトテ、難なく続けています。2~3週間前でしたか久々に、お腹が痛かったのですが多分⁡、手術前まで日課だったスクワットを⁡久し振りにしたせいです⁡。まだ早かったのか⁡、単に久し振りだったから筋肉痛なのかは⁡分かりません⁡。

⁡ お腹を掻っ捌いて5日で退院できる⁡。
今やほとんど以前と変わらず生活している。
人間の回復力に驚かされます⁡。

⁡  入院と手術に関わってくださった沢山の先生と看護師さん⁡。手術のキロクを読んでくださった皆さま⁡。ありがとうございます⁡。あと、退院後の診察と、なぜ手術をずっと⁡渋っていたのかも記しておきたいと考えています⁡。 もちょっとお付き合い⁡くださいませ⁡。