月別アーカイブ: 2019年12月

フツーのおじさんがフツーにマフィアで
 歩くついでみたく
 おじさんマフィアを殺す映画

 映画中、登場人物の名前が出るのだけれど名前と共に、殺され方が出るのよね。「台所で3発撃たれて死亡」て感じで。ほぼ全員が、数発撃たれて死にます。そして主人公フランクは、数発撃つ側です。1回使った銃はお決まりの川へ、橋の上から捨てます。自分とは利害関係のないヒトを、言われるがままに殺します。銃は使い回さないから足がつかない。殺し屋だけどゴルゴ13とは全く違います。もっとずっと、日常的。

 ラジオでライムスター宇多丸さんが、「Good Fellas」(以下G)を観てから観るように言っていたので従いました。Gでは、ちょっとしたことでキレていたジョー・ペシが、怒らず・殺さず・ただ指示を出すだけの、落ち着いたマフィアに成長していて感慨深かったです(Gではペシ、死んでます)。
 ペシからもホッファ(現実の名前と役名が入り混じる入り混じる)からも可愛がられていてもフランクはしかし、所詮マフィアになれないアイリッシュマン。駒でしかないのかなぁ。娘からも軽蔑され、でも家族を守るためにフランクはやっているつもりで。悲しい。

 もしも、もしもホッファから殺しを依頼されていたら。依頼まではされなくともペシのように殺すのを匂わされていたら、フランクはやっただろうか?・・・多分、やらんな。敵にするには大きすぎるし。ホッファさえ、諦めてくれていたら。ね、フランク。

 観終わって、いつものようにイラストを描こうとしたのだけれどなにせおじさんばっかの映画で正直描きたい要素が思い浮かびませんでした。おじさんは好きだけど、絵的に華ないし。でも、でも、でも!俳優ではなくマーティン・スコセッシの、アイリッシュマン記者会見写真を観たときそのあまりの可愛らしさに、
「んー、彼だな」と相成りました。
 前から、マーティン・スコセッシの名前を聞くと、大好きな漫画「動物のお医者さん」に出てくるスコシという名前の犬を思い出していました。単に音からの連想だったのですが、記者会見の写真はスコシの面影がチラつく感じ。はっきり覚えていませんがスコシは、ヨークシャテリアとかマルチーズとか、そんな白い子犬なのです。白髪の小さいスコセッシの子犬感ったらありません。ムツゴロウさんだったら絶対、
「よーしよしよしよし!」と言って身体中撫でくりまわすでしょう。想像では、スコセッシとムツゴロウさんは同じサイズで、白髪同士だから、子犬が2匹でじゃれあっている感じに見えるでしょうね。微笑ましい。

 そんな空想で微笑むのはヤメにして、と。

 トラック協会のトップに返り咲きたいホッファが事務所で部下達をどやしつけているとき、怒ったフランクは部屋を出て行き帰ろうとします。するとあんなに怒っていたホッファが機嫌を取りに来たり。最初は別々の部屋で、フランクはしかもソファで寝かさていたのにいつのまにか、同じ部屋のツインベッドで寝ていたり。ホッファはフランク大好きだったんだろうな。ところで、おじさんのパジャマ姿てなんか間が抜けていて可愛らしい。無防備すぎるからかしらね?お色気俳優陣は決して、パジャマ着て撮影はしないのではないでしょうか?知らんけど。
 話は戻って。
 撃たれたときでさえホッファは、フランクが撃ったとは思っていなかったのではなかろうか?そういえば、裁判所で撃たれたとき、撃たれたんだよね?ホッファ。←ココ、何言ってるの?と思われたヒトは映画観てね。ところで何となく、お気付きの方もいらっしゃるでしょうか?わたくしがホッファ・ホッファ、言ってることを。ホッファ、て言いたくなりません?全く力が入らない音ですよね、ホッファ。熱いモンをお口に入れちゃったときのような楽しげなリズム。それなのに(?)大統領の次に力を持つ男と言われていただなんて。

 あぁ、あと、レストランでペシとフランクがパンをほじくりながら食べていたのが汚くも好ましかったな。刑務所でもフランクがパンを持ち込んで2人で食べようとするのも愛らしかった。そうそう、ペシが刑務所で言っていた教会というのは何のコトなのですか?刑務所内に教会があるのかと思ったのだけれど、フランクも何のことか分かっていなかったし。何なのだろう、教会。
 この映画は、その長さも話題になっていますがわたくしは、気になりませんでした。同じく長軸のカジノも観ようと思っていますがこちらは家で。すると、アイリッシュマンより30分短いのに、途中で止めてトイレに行っちゃったりするんだよな。映画館での膀胱は、頑張るな。




シャイニングの続編、ということで、未見だったシャイニングをまず、観ました。幼い頃から怖いモンがとにかく嫌いだったわたくし。もちろんホラー映画なんか愚の骨頂、観る意味がワカラン、と、思っていました。が、2018年公開の「hereditary/継承」が怖い怖い、というのを聞いてなぜか立ち向かう気になり観てみたら、あれ、大丈夫じゃん!となりまして。映画館が満席で、人が沢山いるから怖くないのかしら?暗い帰り道とか、ひとりのお家とか、後悔で破裂しちゃうかしら?と危惧したものの、そんなこともなく。もしかしたらもう、ホラー超怖いフィルターが失くなったかデニールが軽くなったのかしたのかもしれない。歳をとるというのはそういうコトなのかしら?なんて思ったり。

 シャイニング。
 ホラー。

 面白く観られました。歳とったお陰で。お父さんのジャック・ニコルソンよりある意味、お母さんの佇まいのほうが怖かった。発声が空気感たっぷりで、普段のお喋りからして人間からちょっと離れた存在感をわたくしに与えるのよ。そして、旦那を恐れて叫び倒すお顔がコワい。顔が怖いといえば、前出「hereditary/継承」のお母さんのお顔もかなり怖かったです。お母さんのお顔がホラー。

   で、本題のドクタースリープ。そのお母さんが、同じテイストだけど美人になっていて、発声のair感も一緒な点に驚きました。そんな中、ホラーが大丈夫、なような気がするようになったわたくしですが、怖いの大好き!となった訳ではありません。あまり怖くないといいな、いいな、と思いながら観ておりました。なのですが。悪の集団トゥルー・ノットの餌食になったシャイニング達が”精気”を白い煙として口から出すのにまず、興ざめ。そして、強力なシャインを持つ少女アブラが白目を剥いた瞬間、またまた興ざめ。悪魔憑きとか能力者とか、白目剥きがち〜〜〜と、思っちゃって。アブラとダニーが揃って白目剥いたときは「まあ、オソロイで!」と、心の声が。
 トゥルー・ノットとの戦いは意外にあっけなく、でも、アブラのお父さんとか手伝わされたダニーのお友達もあんなことになっちゃって。とってもとってもとばっちりで可哀想よ。

 ところでトゥルー・ノットのドン・ローズは、マインドフルネスで空を飛び、アブラの頭の中に入るのだけれど、コレは真似しました。劇場で同じように呼吸を重ねて。しかし、わたくしは身もココロも劇場のまま。残念。マインドフルネスで、人の頭の中には入らんでいいけれど、色んなところに行けたらいいのに。そしたらどこでもドアいらずだね、ドラえもん。

 そして最後なぜか前作のホテルでの決戦になるのですが。
そこでシャイニングでグッとわたくしの心を掴んだホテルのカーペットが出てきてルンルン。お馴染みのホテル憑き悪霊達が出てきて祭。

 と・・・

 あれ?この記事は、映画を観終わってそこそこ経ってから書いているのですが結末がどうなったのか全く思い出せないゾ。トゥルー・ノットは壊滅しました。アブラは生きています。あれ?浴槽の女が出てきたっけ、最後?ダニーは死んだんだっけ?思い出すのはとにかく、わたくしの劇場体験史上最大に、お手洗いに立つ人の数が多かった、ということ。上映前にぐるっと場内を見回したとき、おじさんが多いな、と思いました。シャイニング世代かしら?と。お手洗い人が多かったのも、そのせいかしらね。
 わたくしは、シャイニングがめっちゃ好き!というのでは全くないのだけれど続けて観た感想としては、シャイニング好きな人はあんまり楽しめなかったのではないかなぁ、というものでした。別物、という感じがしたので。原作者のスティーブン・キングは、シャイニングを全否定し、ドクタースリープは絶賛しているのだとか。原作も読まなくちゃ!




音楽が出てくる映画が好きです。

 主人公アーカーシュは盲目のピアニスト。彼が恋に落ちて奏でる曲が、本当に楽しくてウキウキで弾みまくっていて、つられて見ているこちらもニコニコ。なんせ演奏する場所では恋のお相手が見守っているのですもの。そこは、恋するソフィーのパパが経営するレストラン。アーカーシュのピアノでダンスパーティーが開かれるのだけれどそりゃあ皆、踊っちゃうよね!
 一方、イロイロあって最後に弾く曲は切なくて美しくて。もう1度聴きたいなぁ、と思うのは、わたくしこちら。

 最後といえば、杖で缶をカーンと飛ばすシーン。ソフィーが
「シミーの角膜を貰っちゃえば良かったのに」と言ったコトに対する苛立ちが起こした行為かな、と思いました。あの、腎臓を売ろうとした悪徳医者と変わらんではないか、愛したヒトは!ていうやり場のないアーカーシュの気持ちを缶にぶつけたのね、と。目が見えなくても缶の存在を感じられるのだと信じて疑わなかったのだけれど、時間が経ってから、もしかしてアーカーシュの缶カーンは「目、見えてる?」ていう疑問を抱かせたかった?と、気付く。オソ。

 そういえば、今はすっかりやらなくなったけれど、ちょくちょく目が見えない設定で家の中を歩いていた時期がありました。アーカーシュのように、芸術センスを高めることが出来るのでは云々という考えでもなければ、特に、目に不具合があった訳でもありません。ただただ、目が見えなくなるかもしれないから慣れておかなければ、という使命感?からでした。目を瞑り、両腕を前に横にオロオロさせて進む、狭くて短い廊下。住み慣れた家でもまあ動けないことといったら。音楽のためにあんなコンタクトレンズを装着して生活しちゃうアーカーシュってば、なかなかだと思います。
 そんなわたくしですから当然、DIALOG IN THE DARKには興味あるのですがまだ、参加したことはありません。だいあろぐ いん ざ だーく?と思ったヒトは、各自調べるように。だってソロソロ、映画の話に戻りたいじゃない?

 この映画はインド映画です。同じくインド映画の「パッドマン」でも映画冒頭に「この映画ではなんら動物を苦しめていません」といった内容のアテンションが流れます。確かにどちらの映画も動物が、痛かったかも?!と思われる物事が起こっていて、その為だと思いますがわざわざ出すのはやはり、お国柄なのでしょうか?
「盲目のメロディ」ではうさちゃんに、痛いかも案件が降りかかった結果、アーカーシュが命拾いします。事件後ヨーロッパに渡った彼の杖の持つところがうさちゃんの頭を象っていて、感謝の印?なのか?いや、感謝というかなんというか、象徴なのかな。そうそう。白い杖は万国共通のモノだと思っていたけれど、ヨーロッパのアーカーシュの杖は黒かったのです。インドでは白杖だったのに。これも、お国柄?なの?

 アーカーシュとソファーは結ばれて欲しかったけど、それもまた人生。
 で、エンドロール。
アーカーシュよりシミーの名前が先に、つまり1番にクレジットされていたのも、また人生。




 台湾ではおトイレで使用した紙を、トイレに流しません。流せるトコロも結構ある–空港やデパート等–のですが、下水管が古いと流せないようです。どこに捨てるのかといえば、備え付けのゴミ箱に捨てます。日本の公共トイレの案内にも数ヵ国後で、トイレットペーパーは便器に流してね、という注意書がありますが、習慣でサニタリーボックスに捨てちゃうお国があるからか、と気付いたモノです。反対に、台湾に渡った直後は習慣で、トイレットペーパーを流してしまい「しまった!」と思うのですが。

 で、わたくしが泊まっていたホステルも、トイレットペーパーは流さないで派でした。そして、足でペダルを踏んだら”ガコッ”と蓋が起き上がるタイプのゴミ箱が各トイレ右手前方に備え付けてありました。拭いたら足を、右前方にほんの20cmほど出しペダルを踏んで蓋を開け、捨てる。
ただ。
 ただ、ホステルの中の1ヵ所、たまたま入ったその場所のトイレでは、何故か左後方に足踏みゴミ箱が備え付けてあったのです。思わず、
「どのように!!」とトイレットペーパーを手に叫びました。心のやらかいトコで。
どのように致したかは、想像なさいませんように。