展覧会覚書『民藝』展@大阪中之島美術館

「民藝」て、なんか、惹かれる。生活に馴染みつつ、ふと「いい形だなぁ」とか「いい色だなぁ」なんて見惚れてしまうような使う芸術、とわたくしは捉えています。

 今回の展示で初めて知った「灰ならし」という道具はとても可愛らしい形。蓑のデザインは、素材を変えればワンピースにしても素敵ではないかと思いました。紬の日傘もいいなぁ、と思ったのだけれどここ数年のお天気は、ただの日傘はもう持てない。晴雨兼用でないとどんなに晴れていてもいつ雨が降るか分からないから。んー、気候め!と思わぬ点でも腹立たしいです。

 衣に施された刺し子は、丈夫に・暖かくという実用性も高めるというけれど、何故にここまで?と感じるくらい凝って美しい。特に、菱刺の衣は何パターンもの菱形模様が刺されていて、うおおおう、と凝視してしまいました。どんな気持ちで刺していたのだろう。刺しながら「あ、こんなのも思いついちゃった!」て感じかな。あるいは、この作者が考えたパターンではなく、受け継がれてきた紋様なのか。

 日本だけでなく、韓国や台湾、ペルーの民藝もありました。やはり、ペルーの諸々は面白いです。特に、スケッチもした太陽の飾りピンは、小さい人形が付いていたのだけれど、別にそれ、無くても全然良いのです。でもそこに「いいなぁ」とわくわくしてしまうし、これがなければただのピンだな、と思ってしまうのです。いや、お顔太陽が彫られているだけで十分、ただのピンではないのですが。
 先ほどの菱刺の衣にも感じたのですが、そこまで凝らなくても良いのでは?余分では?と思える部分に作者の喜びがある気がしてなりません。そしてそこに魅力が宿る。あ、でも、実用だけを追ったものにも美はありますね。ホームセンターで様々な大きさのネジやらボルトや工具、縄やホース等を見ているだけで心弾むのは、確実に美を感じているところがあります。

 今を生きている5人の民藝に携わる人々の映像もありました。作り手の人々。それぞれに、あぁそうだよね、と頷く(スケッチ中「うなづく」と書いてしまっていまうが、誤字。「うなずく」でした)部分がありました。ちょっと涙ぐんでしまう言葉もありました。受け継ぐこと、繋げていくこと、変化していくこと。

 展示の最初と最後に、部屋の展示があります。使われている様子が分かるように。ただ、部屋の中には入れなくて、手前から眺めるスタイル。遠い、です。
⁡ 『民藝』展。⁡  触れたいと思わせるもの多数、欲しいと思わせるもの多数。それを見透かす充実のミュージアムショップ。しかし、先週の鹿児島睦展に続き、暮らしの中の美にたんまり触れてしまったせいでミュージアムショップだけでは満たされません。その足で前から行ってみたかったdieci kyutaro店 に行きました。特に1階の、奥の小部屋はもう「ごえーーーっ」と心の中で雄叫ぶ素敵空間でした。