退院の日です。基本は10時半退院なのですが、家族の迎えの都合で14時にして貰いました。
1人でもおうちまで帰れると思っていたのですが、スーツケースを引くのが無理かも、と迎えを頼むことに。腹筋というのは、ちょっとしたことにも使われてることを、知りました。
昼過ぎ退院ということで、
「お昼ごはん、どうされますか~」と、看護師さんに聞かれました。
「うーん、食べて帰ります」
「ご飯、美味しいですか?」と問われて改めて、考えます。
不味くはありません。が、美味しくもない。のだけどそれは、食器が味気なかったり、お隣のベッドとの仕切りカーテンを眺めながらのお食事だから、というのが大きな原因のような気がします。違った環境で食べれば美味しかったのではないでしょうか。
退院後の生活についての説明もありました。看護師さんがプリントを見ながら読み上げてくれます。
「お腹に布団を掛けないようにして」と。え?ずっと掛けてたけど?掛けなかったらポンポン冷えちゃう、となっていたら、
「あ、間違えました。お腹に負担をかけないようにして、お布団の上げ下ろし等はしないでください。」わ、わ、笑うと腹筋使うから~。
「やだ、もうお腹痛いですぅ。」鉄板か?!これ、同じ状況の患者に毎回言ってるんでしょ?
笑うのも辛かったけれど、それより辛かったのは、くしゃみ。もうくしゃみは痛みが破壊的。
くしゃみを止めるには太陽を見ると良い、て誰か言ってたのを思い出し、太陽が見えるときは太陽を。見えないときは蛍光灯の光を見ていました。すると、見事に止まる。
そう。止まっていたのですが。今改めて調べるてみたら、太陽を見るとくしゃみが出る、そうなのです。その名も「光くしゃみ反射」
なぜ、わたくしのくしゃみは光を見ることによって止まっていたのでょう?プラシーボ的な?
話戻ってプリントには”性生活について”という項目もあり、なかなかに生々しい記述でちょっと引く。
Tナカ先生とイTオ先生もベッドの横に揃い踏み。
「そう言えば、取ったものの写真を見せてくれると仰っていましたが、次の診察のときに見せて頂けますか?」手術前の診察のときに、取ったものを見たいと言ったら、実物は直ぐに病理に回すから見られないけれど写真なら良いですよ、と聞いていたのです。
「そうですね、次の診察のときに!」とTナカ先生。そしてそれを聞いた、常にポーカーフェイスのイTオ先生が、
「あれは衝撃かも」とニヤリとし、嬉しそうな声音で仰います。(あ、感情がある)思わず心の中で言いました。このときが、彼の感情が見えた、最初で最後でした。
その後、イTオ先生のみが残って質問に答えてくださいました。
傷口にはまだ、手術のときのテープが貼られたままです。
幾らか剥がれて来たら全部自分で剥がして好みのテープに貼り換えます。、と、いうことは、傷の全容と1人で、向き合わなければならないということです。
「傷を見て、悲しい気持ちになったらどうしたら良いですか?」イTオ先生に聞いてみます。いつものポーカーフェイスで間髪いれず、
「誰か解り合える人と一緒に過ごしてください」
「はい」
幸い、その後1人で傷を見たとき悲しい気持ちにはなりませんでしたが、”誰か解り合える人と一緒に過ごしてください“。なかなかロマンチックなフレーズだと思うのですが、無表情&無感情過ぎて何だか面白かったのよ。
そして無事、家に戻ったのでありました。駅から自宅まで歩いて5分程のなのですがあの日は倍はかかりました。手術から2ヶ月弱たった今、ほぼ毎朝のスロジョグもトテトテ、難なく続けています。2~3週間前でしたか久々に、お腹が痛かったのですが多分、手術前まで日課だったスクワットを久し振りにしたせいです。まだ早かったのか、単に久し振りだったから筋肉痛なのかは分かりません。
お腹を掻っ捌いて5日で退院できる。
今やほとんど以前と変わらず生活している。
人間の回復力に驚かされます。
入院と手術に関わってくださった沢山の先生と看護師さん。手術のキロクを読んでくださった皆さま。ありがとうございます。あと、退院後の診察と、なぜ手術をずっと渋っていたのかも記しておきたいと考えています。
もちょっとお付き合いくださいませ。