術後4日目となると歩くときも背筋を伸ばしそこそこの早さで歩けます 。通常に比べれば半分程の早さではありますが。
廊下をお散歩していたら向こうからやってきた執刀医のTコロ先生が、
「スタスタ歩けてますね!」と挨拶してくださるので、
「うふ」と答えたり、ナースステーションにいらっしゃる受付のお姉さんに、
「姿勢いいわねー」と誉められたり。
お腹を庇って背中丸めていると、その、縮んだ形で傷口が固まっちまうのではないかと思って、あと、病人然と見られたくないと、入院患者のクセに思ったりして背筋を伸ばすようにしていました。
書き忘れいましたが術後3日目Tナカ先生が、
「僕、いつ退院て言ってましたっけ?」とわたくしに問うてきました。
「診察のとき頂いた紙には4~5日と書いてありましたがその後、”4日はないな“て仰ってましたよ」
「そうですね。じゃ、火曜日退院ですね。明日、退院前の診察しましょう」
そんな感じ~?
とにかく翌日には退院のこの日術後4日目。看護師さんにお礼を伝えておきたくて、お忙しい中を担当看護師のYシタさんにちょっと、雑談にお付き合いして頂く。
「そう言えば、病室へは何時頃帰ってきたのですか?」と聞くと、
「5時頃でした。皆で、まだかなぁ、て待っていました」とのこと。
12時に手術が終わる予定でしたから、戻りももっと早く予定されていたのでしょう。”待っていました“という言葉に”待っててくれたんだ!”と、なんかちょっと、意味が違うような気がしつつも嬉しくなるわたくし。
病室に帰ってきて震えるわたくしに電気毛布をかけてくれたこと。
一晩中何度も寝返り打たせに来てくれたこと 。
あと、多分夜中。気付かないうちにナースコールを握っていてしかも押しちゃって、
「どうしました?」と来てくれたYシタさんに驚き、更には自分の右手に握られているナースコールに驚き
「わっ!」と投げ捨てたこと。
翌日からも担当看護師さんだけでなく沢山の看護師さんが日々、お世話をしてくださいました。
「看護師さんて、凄いですね。本当にありがとうございます」
結局Yシタさんには退院のときおめにかれなかったのでこの時、お伝えできて良かったです。
改めてベッドの頭に掛けられた主治医や担当看護師のお名前が書かれた札を見ます。
「あ・・・」
手術後、毎朝と毎夕、主治医であるTナカ先生とは別で立ち寄って、傷口チェックしたり様子を聞いてくれる先生がいらっしゃいました。いっつも来てくれるなー、と何となく思っていたのですが札に担当医:イTオとあります。
あの先生、担当医だったんだ!
退院1日前にして気付くわたくし。ごめん、イTオ先生。親切な人なんだと、思ってた。
そう言えば手術当日朝、輸血なんかの説明に来てくれたのイTオ先生でしたよね。多分あのとき、
「担当医のイTオです」て自己紹介してくださってますよね。
聞いちゃぁいなかったよ。
主治医:Tナカ先生
執刀医:Tコロ先生
担当医:イTオ先生
合わせて3Tドクターズが、わたくしの先生だったのです。
で、Tナカ先生とイTオ先生の2Tと看護師Oニシさんで退院前診察へ。
「上原さんて、お仕事何されてるんですか?」唐突にTナカ先生(以下T)が問うてこられます。
「自営業です」と、わたくし(以下A)。
T「何作ってるんですか?」え?何で作ってる前提?といぶかしみながら、
A「えっと、素敵なものです」
2T&Oニシさんの笑い。
T「お洋服ですか?」
A「違います」そこへ被せぎみに、
T「着てる服とか、自分で作ったのじゃないんですか?」
A「市販のです」
T「僕ねー、上原さんいっつもお洒落やから、デザイナーさんかな、て勝手に思ってたんです」
A「えー、ちょっと嬉しいんですけどぉ」
2T&Oニシさんの笑い。
T「で、何作ってるかは教えてくれないんですか?」
A「はい」
2T&Oニシさんの笑い。
と、いう会話をあの、診察台の上でカーテン越しに交わしたのでありました。診察台が日常になってる・・・怖いわ
と、病室に戻ってから気付く。
このとき(もう、診察台から降り、パジャマ着てます)、手術の少し詳しい様子を聞きました。
「左に大きな筋腫があってそこを尿管がグイーンてなってて、」あと、忘れた。メモを持っていかなかったから、忘れた。
事前に採っておいた自己血400mlを使いきり、それで足りたことは覚えてます。輸血すると今後一生献血が出来ないので、自己血で完結して良かったです。
この日初めて出されたご飯を完食できました。手術翌日は、食べるとお腹が圧迫されて軽い吐き気がしていたのですが、その次の日から、起こしたベッドに長座姿勢ではなく、ベッドの高さを高くしてそこにちょん、と腰掛ける姿勢で食べるようにしてみました。バーの椅子に腰掛けるような感じ。
すると圧迫がなくなり吐き気もしなくなりました。今後、腹部の手術受けるときは。ご参考まで。