やっと、ちょっと前に観ました「JOKER」
評判が良くあらすじも、なぁんとなく知っちゃっていたので、自分の中のハードルを下げるよう下げるようにして観たのですが、下げる場所がちょっとずれていたというか、ハードルを上げる場所が外れていたというか。
どんな酷いコトされて、ジョーカーという救いのないヴィランになったのだろう???と思っていたら、え?それくらいで?となってしまったのです。
いえ、肉体的にも精神的にも虐げられているのですよ、確かに。でも、この位の虐げて、今の世の中ままあるのではなかろうか?と思えてしまって。
でーすーがー。
友人とJOKERのことを話していて彼女が言っていたのは、ひとつひとつは小さなコトなんだけれど、その積み重ねでああなったんだ、と共感できた、と。
そうねー。ボディブローて、ヤツねー。じわじわと、長期に渡って地味に蝕まれていくアーサー。一体わたしはどんな虐げられかたを想像していたのだか・・・。うーん。もっと肉体的苦痛だったのか?解りやすく。
因みにわたくし、歯医者なんかに行ってちょーっと痛いコトされたら心の中で「こんなの、(ドラマで観る)FBIだか何だかやらマフィアやらがしたりされたりする拷問に比べればどってことないわ!ヤツら、健康な歯にドリル突っ込んだり引っこ抜いたりするんだから!!」と思って耐えるタイプです。
映画の話に戻って。
でもとにかく、銃が諸悪の根源だと思うの。そもそもアーサーに銃さえ渡さなければ。
武器は持っていると使ってしまうし、薬も、手に入ればやってしまう。そういうものでしょう、きっと。知らんけど。観ているわたくしだって、アーサーがアホリーマン達にボコボコにされているとき、
「撃て、撃つんだアーサー。」と、「立て、立つんだジョー!」 並みに声援を送った。そしてやっぱり撃った瞬間「やった、撃った!」という気持ちになりましたもん。
一方で「あー、撃たれちゃうよ!止めときなよ、ほら!言わんこっちゃないー」とか「あぁ、撃たないでアーサー。でも撃っちゃうよね絶対。でも撃たんときぃ」いう気持ちも、同時に味わいました。
で、映画「helpless」を思い出しました。覚え違いでなければアレも、たまたま手にした銃がきっかけで転がっていった、はず。浅野忠信演じる主役の男がもともとどんなだったかは、覚えていませんが。
そっか。誰1人アーサーを気にかけていない世界。母も。父も。恋人は妄想。気にかけていないクセに、無視するのではなく、貶める。救いがなさすぎる。確かに、な・・・
ヒトをいっときに3人も殺してしまったアーサーは、踊ります。それまで踊ってなかったのに。殺してからは、殺す前にも踊ります。解放?
あと、アーサーを演じていたホアキン・フェニックスの裸体がなにか、バランスがおかしくて気持ち悪かったです。大分ダイエットして、骨と皮にしたらしいけれど、腕が出てくる場所や肋骨のカタチが奇妙なのです。
それにつけてもホアキンが2年間、周りの人々をずっと騙していたというモキュメンタリー映画「容疑者、ホアキン・フェニックス」を観たいな。