「救いがないよね」
劇場を出るとき聞こえてきた声に振り向いて、
「ほんとだよね」と思わず返事したくなりました。
ここのところ、貧困映画が多いと聞いていますが、これもそのひとつ。万引き家族も救いがない、どころか救いを奪う映画であったけれど、この「家族を想うとき」は、底かと思いきやまだ、沈む。そして沈むところで、終わる。辛いです。そしてそれは決してヒトゴトではありません。わたくしには。
仕事を失う→家を失う→路頭に迷う=明日は我が身
映画では、働いて働いて働いて、家族の時間が仕事に侵食されていきます。家族のためにこんなにも働いているのに、その家族に会えないなんて。心が繋がらないなんて。誰も悪くないのに、誰もが傷ついているのです。
そんな中にある、幸せな時間。
娘と一緒にする配達や、家族4人で賑やかにテイクアウトのインド料理を囲む食卓。
そこへ訪問介護を生業にしているお母さんにかかってきた介護要請の電話。こんなに楽しそうだったのにお母さんだけ、タクシー呼んで仕事に行かなくちゃならんのかと思ったら、反抗的だった息子の提案で、皆で歌を歌いながらお父さんの仕事のバンでお母さんを送っていくことにする、その車内。楽しさ全開のシーンです。あぁ、ちょっとは家族の関係も良くなっていくのかな?と思いきや、甘かった。
ブラックでなく働いて正当に稼ぎ、愛する人・大切な人、好きな物事、に時間を使いたい。ちゃんと、生きるコトを幸せに感じたい。それがかくも困難になっている社会て、どうしたら良いのでしょう?お金て、あるところにはどんどん回ってくるのに、ないところにはどうしたって、きません。貧困からは抜けられないのでしょうか?なんでこんなに格差があるのでしょうか?
お金があれば幸せ、ではありません。でも、幸せな生活にはやはり、お金が必要なのです。やんなっちゃう、本当に。