女王蟻の宮殿」カテゴリーアーカイブ

長沢芦雪展へ行ってきました。⁡

⁡  最近気付いたのですがわたくし、スケッチするとき左上が薄くなりがち。今回、一番印象に残ったのが『拾得図』だったのですが、左上に描いたのでうっすいわ。”ジョーカーのよう”とメモしたけれど、ピエロの間違い。⁡
人物も動物も、コミカル味があるのが好き。⁡
⁡ それにしてもこの時代、京都のギュッと狭い地域に今も名前が残る絵師が何人も居住していたのね。まさに都です。⁡

⁡  宣伝物に使われている『長沢芦雪』の字体がとっても可愛かったです。角ったり丸ったり。真似っこして書くのも楽しかったです。

 グッズも充実していたのですが、中でも犬ポーチに目が止まりました。かなり可愛い。絵の中の犬さんが、そのまま出てきたようです。立体感も良く。そして、その価格が2000円台というのに戦きました。大量生産、恐るべし。





 近所のお寺の門前には、あれがあります。”あれ”といってももちろん、優勝ではありません。掲示板です。⁡

⁡  もう何年も前になりますがそこに「みつを」の言葉が書かれていました。内容は忘れてしまいました。なので、「人間だもの」では、ありません。⁡
 文章の末尾に「みつを」と書いてあるのを見たとき、何とも表現しがたい気持ちになりました。⁡
 寺、みつを⁡
 寺、みつを⁡
 うーん。みつを、半笑いになってしまうアイテム。ちゃんと読んだこともないのに。そういう先入観は本当に良くないなぁ、と思いつつどうしても、思ってしまったあの日。寺、みつを・・・。⁡

⁡  先日、数年振りにそのお寺の前を通りかかりました。”あれ”は、何て書いてあるだろう?と見たら。ない。掲示板はあるのです。しかし、毛筆のお言葉は掲げられておらず、ポスターが2枚、張ってありました。⁡
 写真を使った講話のカラーポスターと、托鉢の日程が書かれたポスター。どちらも多分、上層部から配られるもの。味気ない。⁡

⁡  寺とみつをに違和感を覚えたわたくしですが、みつをでもいい(いまだ、みつをを読んでないくせに”でも”はないだろう、わたくし)。手書きのお言葉を掲げて欲しいです。ご住職が心動かされた言葉でも皆に知って欲しい言葉でも、もちろんご住職自身の考えでも、ご住職の肉筆で書いて欲しい。⁡

⁡  もしかして、代替わりされて悪筆なのかしらん?あるいは、上層部からのポスターをどうしても今は張らねばならないだけで、後日行ったらまた、お言葉になっているかも、と期待しつつ。⁡





 

※画像と文章はなんら関係がありません※⁡
 老いといえば(1つ前の投稿もそんな投稿でしたので)⁡あれは今年の春のことじゃった。⁡
と、おばあさん&おじいさんの語り口てこんな風に表現されるけれど、実際聞いたことないけどな。⁡⁡
話戻って、そう春のことじゃった。⁡⁡

 京都の市バスに乗っておったのじゃ。⁡⁡
結構混んでいてな、わたくしは立っておったのじゃよ。⁡そうしたら、前の席に座っていた大学生だと思われる青年がな、⁡⁡
「座りますか?」と立ったのじゃ。まさか席を譲られるとは思っていなかったからびっくりしすぎて無言で、首をぶるんぶるん振って拒絶してしまったのじゃ。⁡⁡

 後から考えるだに、⁡⁡
「えっ、ありがとうございます!」とお礼を申して座れば良かったと思うのじゃ。無言で激しく首を振る、て青年の厚意に対して大変失礼じゃったなと。今度譲られたら絶対座るじゃ。あの時の青年、本当にすまなかったじゃ。ありがとうじゃ。⁡⁡

 今年2023年早春、わたくしは50歳になりました。⁡⁡
大台に乗ると色々クルよ、とは聞いていましたが、特になんもないけどなぁ、と思っていました。⁡⁡
 が、席を譲られ、そこかしこ痛くなり、やはり色々あります。従兄弟と叔母が、60歳なのだけれど、口を揃えて、⁡ 「60になると凄いよ~、衰え」と言ってきました。なぜか嬉しそうに。カクン、カクン、ときっちり落ちていくらしい。見事ですね、年齢。まるで必ずお彼岸に咲く曼珠沙華のようです。⁡⁡
と、何となく綺麗な感じで閉めてみるのじゃ。⁡⁡




 Perfumeのファンではないのです。⁡
かしゆかは髪型で分かるのだけれど、いまいちあーちゃんとのっちの区別がついていませんでした。この日までは。 ⁡
 髪が短い方がのっちである。2023年10月11日に認識。やっぱり髪型の認識で、この区別のしかたは危ういです。⁡
この日わたくしは、兵庫県立美術館で行われていたPerfume CMOSTUME MESEUM展に行きました。⁡

⁡  会場は程よい人入りで、誰もが明らかにファンでした。そんな中に混ざるわたくしにも、好きな曲はあります。⁡ それは『VOICE』⁡
この曲は、YMO味が強くて好きです。格好良い。⁡それくらいの認識で行っても良いものか、と思ったのですが衣装という切り口にそそられたのです。⁡

⁡  展示室に踏みいると、3人の衣装が曲のタイトルや小話と共に展示されています。⁡
あがる。⁡
「わー、この首んとこ可愛い」⁡
「わー、こんなデザインの服着たい(そんなん思ってマジごめん)」⁡

⁡  わたくしこの日、2日前に仕上がった自作のサロペットを履いていました。滅多にお洋服は作らないのですが、「次に作るときは、このデザインの要素いれたいな」とか「コルセットにケープ、オーバードレスていいな」なんて思いながらいつものように、パパッとスケッチをしていました。2部屋目でのこと。監視員さんが近付いてきて⁡
「すみませんが、企画展ではスケッチ禁止なんです」⁡
「え?あ、そうなんですか?ごめんなさい」⁡
「いえ、すみません」⁡
「写真OKゾーンでは描いても良いですか?」最近の展覧会は、撮影OKなお部屋だったり作品があることが多いのですが、こちらもそういうお部屋があるかとは、入場時に知っていたので尋ねました。⁡
「いえ、写真は良いのですが、スケッチはできません。」⁡
解せぬ。⁡
解せぬが、⁡
「そうなんですか。分かりました。」と言うしかなかろう。監視員さんが申し訳なさそうに去ってゆきました。⁡

⁡  過去にも1回、スケッチ禁止と言われたことがあります。奈良国立博物館での国宝展のときでした。こちらも兵庫県立美術館と一緒で、企画展はスケッチ禁止、常設展は可、と言われました。なんでなんだろ?カメラは良くてスケッチはダメ、というのも不思議です。⁡
 きっと調べたら「なるほど」と納得しきりな理由があるに違いありません。・・・どうだう?まだ、調べていないけれどそのうち、調べましょう。⁡

⁡  と、言うわけでスケッチは入って早々にできなくなり、後は気になる衣装があったら曲のタイトルだけ書き付けました。文字を書くのはOKなの。スケッチとメモの垣根が、とてつもなく高いわ。⁡

⁡  そしてグッズショップでまんまと衣装ブックを買ってしまいました。でもこの本は、スケッチ禁止されなくても買っていたと思います。写真も文章も、鮮やか。⁡楽しい。

⁡  展示自体も満足でした。たっぷりの衣装を間近に観ることができ、デザイン画や指示書も興味深かったです。指示は、何のことやらさっぱり分からなかったけれども。衣装がPerfumeを作っている大切な要素なんだな、というのがわたくしにも感じられました。⁡そして前よりPerfumeが好きになりました。

⁡  で、関係ないですがありんこ天国、実は、ボレロの型紙がほぼ完成しているものがあるのです。そのうちドロップするはずです。⁡
楽しみですね!(強要)




「民藝」て、なんか、惹かれる。生活に馴染みつつ、ふと「いい形だなぁ」とか「いい色だなぁ」なんて見惚れてしまうような使う芸術、とわたくしは捉えています。

 今回の展示で初めて知った「灰ならし」という道具はとても可愛らしい形。蓑のデザインは、素材を変えればワンピースにしても素敵ではないかと思いました。紬の日傘もいいなぁ、と思ったのだけれどここ数年のお天気は、ただの日傘はもう持てない。晴雨兼用でないとどんなに晴れていてもいつ雨が降るか分からないから。んー、気候め!と思わぬ点でも腹立たしいです。

 衣に施された刺し子は、丈夫に・暖かくという実用性も高めるというけれど、何故にここまで?と感じるくらい凝って美しい。特に、菱刺の衣は何パターンもの菱形模様が刺されていて、うおおおう、と凝視してしまいました。どんな気持ちで刺していたのだろう。刺しながら「あ、こんなのも思いついちゃった!」て感じかな。あるいは、この作者が考えたパターンではなく、受け継がれてきた紋様なのか。

 日本だけでなく、韓国や台湾、ペルーの民藝もありました。やはり、ペルーの諸々は面白いです。特に、スケッチもした太陽の飾りピンは、小さい人形が付いていたのだけれど、別にそれ、無くても全然良いのです。でもそこに「いいなぁ」とわくわくしてしまうし、これがなければただのピンだな、と思ってしまうのです。いや、お顔太陽が彫られているだけで十分、ただのピンではないのですが。
 先ほどの菱刺の衣にも感じたのですが、そこまで凝らなくても良いのでは?余分では?と思える部分に作者の喜びがある気がしてなりません。そしてそこに魅力が宿る。あ、でも、実用だけを追ったものにも美はありますね。ホームセンターで様々な大きさのネジやらボルトや工具、縄やホース等を見ているだけで心弾むのは、確実に美を感じているところがあります。

 今を生きている5人の民藝に携わる人々の映像もありました。作り手の人々。それぞれに、あぁそうだよね、と頷く(スケッチ中「うなづく」と書いてしまっていまうが、誤字。「うなずく」でした)部分がありました。ちょっと涙ぐんでしまう言葉もありました。受け継ぐこと、繋げていくこと、変化していくこと。

 展示の最初と最後に、部屋の展示があります。使われている様子が分かるように。ただ、部屋の中には入れなくて、手前から眺めるスタイル。遠い、です。
⁡ 『民藝』展。⁡  触れたいと思わせるもの多数、欲しいと思わせるもの多数。それを見透かす充実のミュージアムショップ。しかし、先週の鹿児島睦展に続き、暮らしの中の美にたんまり触れてしまったせいでミュージアムショップだけでは満たされません。その足で前から行ってみたかったdieci kyutaro店 に行きました。特に1階の、奥の小部屋はもう「ごえーーーっ」と心の中で雄叫ぶ素敵空間でした。





市立伊丹ミュージアムで行われていた⁡『鹿児島睦 まいにち』展へ行ってきました⁡。
 最初に入ったお部屋に鹿児島さんの言葉
「花を絵付けするときは必ず茎から描く。花の重心を捉えるように」とあったので⁡、いつもの展覧会スケッチもお花を描くときは茎から描こう、⁡と思ったものの気を付けていないとお花から描いてしまいます⁡。茎から描けたら描けたでお花が⁡、上にある絵とぶつかってバランス悪かったり、フフ⁡。

⁡  そんな、お花が咲いていたり動物が生息していたりするお皿達。
わたくしは野菜のローストが好きで⁡す。黒地のお皿に人参スティックロースト盛りたいなぁ⁡。とか、ピンクが基調のお皿には、ピーマン真っ黒に焼いて皮剥いで、再び鮮やかで瑞々しく強い黄緑を現したのを乗せたいなぁ、なんて考えながら観ました。食べ物が減っていくと現れるお花や動物。にっこりしちゃうよ絶対に。飾って良し、使って良し。

 「誰かと違うものを作りたいというふうには考えないんです」という言葉もありました。わたくしは、誰かと違うものを作りたい。けれど、初めてこの世に生まれる造形などない、と同時に考えています。既に絶対、ある。何ならほぼ同時に、ほぼ同じものがこの地球上で誰かが作っていることでしょう。不思議。ふかぁいふかぁいところで、繋がっているようです。

⁡  和菓子屋さん『鈴懸』のパッケージもデザインされていて⁡それがまた素敵⁡です。
神社の絵馬も可愛いです。これ、持って帰りたくなるなと思いました⁡。また来年、博多に下界したら、鹿児島さんお勧めの、鈴懸本店カフェのナポリタン食べましょう。てな感じですっかりファンになりました。

 最後のお部屋では鹿児島さんの制作風景動画が流れていました。ここで思い出すのはもちろん、わたくしの制作動画のライブYouTube 。働き蟻Mさんが来なくてひとりで制作していると、何かとサボってしまうので、サボり防止でライブ配信をし始めました。一応、ライブ配信は残してあるのですが、ずっと無言でただただミシン作業をわたくし目線で映している、だけの動画です。鹿児島さんの動画も、わたくしのと同様無言。でも。そりゃそうなのですがぜんっぜん、違う。製作中のお皿を上から映しているカメラ。お皿を削ったり色を付けたりする鹿児島さんの横からの姿を映しているカメラ。アトリエの様子も観られて、楽しい。お皿を掻く音が気持ち良い。

 うちも、カメラもう一台据えて、制作する姿全体を映すようにもしようかな、と思ったのですが、そもそもサボり防止用なのだから、素敵ライブ配信にしなくて良いのよ。でね、ライブ配信。ほぼ、わたくししか観てないの。それでも、中継していると思うだけでサボらないで真面目に作業できちゃうのです。御し易い、わたくし。

話は展覧会に戻ります。一度最後まで観た後、再び戻って記した言葉があります。

「得たお金をものづくりに還元し、もっといいものをつくること。つくり手がやるべきことは、これに尽きます。」わたくしが得るお金は多くはないけれど全て、わたくしが作る者(誤字ではありません)を気に入って、一緒に暮らしたいと求めてくれた人が与えてくれたお金です。奇跡。わたくしが作るありんこ天国の住人達は、向こうからやって来てくれます。彼らを地球の皆様にご紹介するのがわたくしの仕事です。もっと沢山の人間に紹介して気に入って欲しいです。まだまだ作りきれていない住人達をちゃんと作って出現させたいです。それが、わたくしの脳内妄想天国にやって来てくれる彼らに対する責任というか、感謝の印というか、使命です。同時に、彼らを気に入ってくれる人々への感謝の印でもあると思っています。・・・なのに、サボってごめん。ありんこと言っても、勤勉でない2割程度のありんこなのです。
伊丹での展示は終わってしまいましたが巡回があります。行ってウキウキ・うふうふするべきです。




デザインとアートの境目を探る展覧会。両者の違いてなんだろう?ありんこ天国は『生活するアート』と銘打っています。わたくしは美大生だった頃、ギャラリーに通うのが好きでした。卒業してからは、自らもギャラリーにて展示もしてきました。
 そんな中、ギャラリーや美術館は、まだ一般的とは言い難い場所だな、と感じるようになりました。文具屋さんに入るように、お洋服屋さんに入るように、日常としてふらりと入る場所ではありません。わたくしは、自分が作ったモノをもっと、日常で人々に見て欲しいと思いはじめました。そうして、手づくり市に出すようになり、今に至ります。

 使えるアート、共に生活するアートを作りたいという思い。あれ?それってデザイン?
アートというと、取っ付きにくいイメージがありませんか?対してデザインは生活に入り込み、もうそれとは気付きません。我々が手にし、目にする人工物全てがデザインされたモノです。恐ろしい程に誰かがデザインしたモノに囲まれて生きているのです。囲まれた中、どうにも心惹かれるデザインが存在します。それが、デザインから見たアートとの境目なのかも。境目というか、あわい。揺らぎ。そんな感じ。
 人によって境目は違います。同じ人であっても、日により年月により変わることもあるでしょう。そんな文言が、この展覧会のチラシにも書いてありました。
 水道水を輝かせてしまうグラス。目に入る度思わず気持ちを昂らせてくれるネイル。そういったモノは、デザインでありアートだと思います。

 日常に溶け込むという意味では、わたくしもデザインをしたいのかもしれません。が、引っかかりが欲しいのです。馴染み過ぎない、ちょっとした違和感と興奮。取っ付きにくいとか、小難しいと身構えさせない周辺。あら?わたくしがやりたいコトて、デザインとアートの境目なのかも。なんだか大きく打って出たな感。でもやっぱり、非現実と生活のはざまをゆらゆらしたいのだろうな。

展示を観た後のお楽しみはミュージアムグッズ。

展覧会に関係のない絵葉書3枚と、作品の展示があった猪熊弦一郎の言葉が印字された4色色鉛筆。曰く「アートはバイタミン」。猪熊さんの展示されていた作品は「ボイス」。とても大きな作品だったのですが、家に飾りたーい、と思っちゃいました。なんなら、これをプリントした壁紙を、寝室の1面に使いたい、と。これって、アートとデザインのあわい。
 購入したものを入れてくれた袋の口を閉じるのには、同時開催されていた佐伯祐三のポストマンマステが貼られていました。

 ミュージアムショップて、デザインとアートがいい具合に混ざり合っている場所だな。ありんこ天国も、ミュージアムショップに生息したいです。




 モノを作る人であれば多分誰もがブチ当たる⁡「このちょっと残ったやつどうしよっかな⁡取り敢えず、取っておくか」と取っておいてどんどん溜まっていく問題⁡。
または⁡、B品として販売できるタイプのキズモノは良いとして⁡販売がままならないタイプのキズモノの行方問題⁡。

⁡  エルメスというハイブランドとて⁡同じ現象が起こるようです⁡。良い素材なだけに捨てるのも⁡惜しいでしょう⁡。
⁡そういったモノ達が新たなカタチを作り⁡魅力的に表舞台に登場する⁡、そんなモノ達が集められたプティアッシュ展⁡。

⁡  大阪中之島美術館の2階で行われている展示は⁡、こじんまりしながらも見応えは充分です⁡。ここは無料で入れるゾーンなので行くべき⁡。画像中央にあるオレンジのスタンプは⁡そこで押せます⁡。ノート、忘れないで⁡。

⁡  鯉のぼりや⁡、新しい鳥獣戯画といった趣向のイラストやねぷたチックなオブジェも⁡大変にウキウキします⁡。

⁡  芝生広場ではテントのカフェが出ていて⁡、サブレ付きの飲み物がALL600円で販売されています。わたくしはキウイソーダを頂きました⁡。
 キウイでしたよ!⁡
そりゃそうなんですけれどね⁡。そう言えば⁡papicoのキウイ味がとても美味しいと聞きました⁡。食べましょう⁡、話を戻しましょう⁡。

⁡  運良く取れた⁡完全入れ換え予約制の販売ゾーンにある品々がまたどれも可愛かったです⁡。ねぷたチックオブジェも⁡展示ゾーンにあったものより巨大も巨大だったり⁡、凝ったポーズになっていました⁡。

⁡  細いチューブを何本も重ねたヘアバンドは⁡、ウチの生地でも作りたいなと思います⁡。が、⁡あの細いのをひっくり返す面倒臭さを考えずにはおれないという⁡、ありんこなのにいつもの⁡ナマケモノ思考がスライディングしてきます⁡。尋常でない砂埃を舞い散らかしながら⁡。

⁡  アップサイクルのものであっても当然⁡妥協がなくて美しいモノ達に囲まれて⁡、眼福でした⁡。

⁡  エルメスの工房関連の展示会には今回で3回⁡お邪魔したのだけれど、どれも会場にいるスタッフの皆さまがとても感じ良くて安心します⁡。初めて⁡、京都のお寺であった展示会には行ったときはマジ緊張⁡。「なんやコイツ」と思われないだろうかと、内心ビクビク&オドオドでした。
⁡ けれど穏やかにお客様を見守り⁡、適切なときに適切なボリュームで説明してくださる姿に⁡、わたくしもこのような接客がしたいものだわ~⁡、と感じるのでありました⁡。




 「ヒグチユウコは、そ〜んなに好きって訳じゃないけど行っておくか」という程度のノリで参った『ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END』@森アーツセンターギャラリー
が、本当にごめんなさい。ヒグチユウコ大好きです!となった展覧会でした。
観ながら、あ〜、わたし猫と暮らさなきゃな、と思いました。諸般の事情で飼うのはなかなか難しいのですがね。
特にギュスターブくんがモスにバイト面接に行く漫画が好きです。こけし群も魅力的でした。
”そんなに好きじゃない”と思っていたのは、ただ可愛いだけだと思っていたからなのですが、毒気と異常な描き込み具合に、目がカッと見開く思いでした。

ショップにて、事前に調べていたマグカップが欲しかったのだけれど、もうありませんでした。残念。
 そうそう、入場後にランダムな柄でチケットを貰えたのですがそれがこちら  ギュスターヴくんのお手々が蛇、てのがありんこ天国の「パクパクマフラー」と一緒だね!と思いました。今、パクパクボレロを試作中で、そちらはより、ギュスターヴくん味がある気がします。片方は、お尻っぽですけれど。

余談ですが、行く前に立ち寄った、近くのけやき坂テラスにある『bricolage bread and co.』のクロワッサンが非常に美味しかったです。
そして、そこで使われていたマグカップの飲み口がとても良かったです。厚口のカップで唇への当たりが柔らかく、ここで売っているなら買いたい、と思ったほどでした。




 トーキョー下界に伴い2日延泊しました。
数年振りに会う友人と、中野にあるウズベキスタン料理屋さんでランチしたかったのと⁡話題過ぎるほど話題のDior展とヒグチユウコ展を観たかったのと⁡そして、どうしても行きたいお店が水木金しかやっていなかったから。

⁡  Dior展について⁡
日時指定券がないと入れない展覧会だったのですが⁡そんなもんはとうの昔に売り切れていました⁡。しかし、当日券が出る⁡。当日券は入手できないこともあるが、とにかく出る⁡。10時開場のところ9時から並んでいるヒトもいるらしい⁡、という情報を得たわたくし⁡。8時半過ぎに現場に着きました⁡。

⁡  1番だったらなんかちょっと恥ずかしいなー、という気持ちで行ったのですが全くもって1番ではありませんでした⁡。既に数10人、100人?程?並んでいました⁡。平日なのに。⁡ ⁡ みるみるみる間に間に間に⁡、列は延びていきます。美術館のお兄さんが列を整理していらっしゃいます⁡。整理するということは⁡当日券は、これくらい並んでいても手に入るというコト⁡。わたくしは楽勝だな、とホッとする⁡。しかし暑い⁡。
 今後、当日券狙いで並ぶヒトは⁡日傘を持っていくコトをお勧めします⁡。かくして10時半から11時入場枠を手に入れました⁡。直ぐに入れる枠を取れて本当に良かったです⁡。

⁡  間もなくして入場⁡。
最初の部屋からやられっぱなしでした⁡。展示方法が凄い、と聞いていたので一切⁡画像情報を入れずに挑んだのですがマスクの中で⁡、
「はあぁぁ」⁡
「ほあぁぁぁ」と、声が漏れる⁡。撮影OKだったので撮りたいし⁡、でも撮ってばかりだと勿体なく⁡眼球にも焼き付けたいし⁡。

⁡ 黒い部屋⁡
曲線の障子のような部屋⁡
歴代デザイナー別に仕切られた部屋⁡
白い部屋⁡
バッグの部屋⁡
圧巻は吹き抜けの部屋⁡

⁡  もう、魔⁡。魔物の空間でした⁡。
 会場を出たら3時間、経っていました⁡。クタクタ⁡。ですがゲッソリのクタクタではなく満たされたクタクタです。

⁡  Diorのデザイナーとパタンナーやお針子さん他携わる多くの人々、会場を作り上げたデザイナーと職人や美術館の人々や運搬に関わる人々⁡。みんな合わさり怪物⁡。そう感じた展示でした。